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121 芸達者な答志人 The versatile entertainers

こんにちは、答志島のいがちゃんこと五十嵐ちひろです。前回の記事で答志地区の神祭の中の神事、お的の奪い合いについて紹介しました。今回は、神事の前後に行われる演芸について書きたいと思います。

 

神祭の期間中に舞台で行われる演芸は、奉納演芸と呼ばれています。基本的には踊りは日本舞踊、芝居は田舎歌舞伎、歌は演歌、とかなり渋いラインナップになっています。答志のおじいさんたちに話を聞くと、やはり神事に関わるものなので、ちゃんとしたものやらなきゃいけないみたいです。

演劇「忠臣蔵三段目」
日本舞踊

三番叟

3日間、最初の演技は舞台あけの三番叟と決まっています。答志の人はサンパツって発音するので、最初なんのことか分からなかった。ちょうど神祭の前日に今年の三番叟を務めた青年のおばあさんに会って話したら、「孫は小さい頃から三番叟に憧れて、神祭で見ると家に帰って何度も何度も真似をしていた」と語ってくれました。七人使いやお的衆もそうだけど、祭りには憧れの役がたくさんあるんだなー、と感じました。

三番叟
三番叟

さまざまな演芸

昨年同様、最初に出し物をするのは老人会の面々。カラオケと踊りが披露されました。和具のおじいさんも一人出ていましたよ。和具地区の神祭では奉納演芸は無いため、なかなか披露する機会が無いんです。観客席の後方で同級生と思われる答志のおばあさんたちが黄色い歓声をあげていました。

花束を持って歌う女性
お孫さんたちが舞台にわたしに来てくれた花束を持って歌う

この後は、漁師さんたちやその妻、子どもたちによる歌や踊りが続きます。普段は島の外に住んでいる若い女の子たちが何名か踊りを披露したのですが、なかなか練習時間も取れなかったでしょうが、子どもの頃から踊りと言えば日本舞踊をやってきた子たちだから、さすがに堂々と踊っていましたよ。日本舞踊なんてお嬢さんの習い事だと思っていたけど、ここでは踊れる人がいっぱいいて、なんか別世界って感じです。

カラオケ
踊り
菓子をまく高校生たち
最後にお菓子をまく出演者も多い

いまわり

この神祭の間、神事のため「いまわり」(喪中)の人は祭りへの参加をひかえることになっています。七人使いやお的衆、もちろん禰宜どん(ねぎどん・弓の引き手)なんかもできないですし、演芸もほとんどの人は出ません。また、会場に入るのも好ましくないとされているため、喪中の人は会場の入り口にはられた結界のしめ縄の外から演芸や神事を見ます。神事が終わるとこの結界が切られるので、それ以降は誰でも会場に入れるようになります。結構みんなきっちり守っているんですよ。

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太鼓をたたきながら踊る子どもたち
子どもたちの踊りもあるよ

演劇

神祭の奉納演芸でわたしが個人的に楽しみにしているのは演劇です。答志地区の演劇は田舎芝居と呼ばれるもので、歌舞伎や戯曲などを島の人たちが演じます。今年の演目は4つです。毎年恒例の受け芝居(神事の前に行う芝居)仮名手本忠臣蔵の三段目と、文化保存会が演じた五段目はおなじみのラインナップです。町内会は今年はいまわりの人が多く、役者の人数が足りなかったために、オリジナル劇を披露しました。内容は、島で生活する上でのゴミの出し方について。ゴミ奉行がルールを守らない住民たちに、具体例を挙げて注意する形で、観客たちに楽しみながらゴミ出しに対する意識を高めてもらうというもので、結構ウケていました。

忠臣蔵三段目
忠臣蔵三段目
町内会の劇
町内会の劇

もう一つは大トリの、漁業組合役員による「涙の江戸見物」です。最初のうちは、笑えるシーンが多いのですが、最後の10分で急に泣ける展開になってくる内容でした。去年もすごいな、って思ったのですが、この役員さんたちのお芝居は本当にクオリティ高いんですよね。わたしは過去に2回ほど、お芝居でお金を取る舞台に立ったことがあるので、稽古の大変さというのは分かるんですが、普段普通に漁師やっている人たちがどうしたらあんなに立派に役者さんになれるんだろうか、と本当に不思議です。

女性らによる踊り
トリから2番目は女性らによる踊り
女性らによる踊り
トリから2番目は女性らによる踊り
涙の江戸見物
大トリのクライマックス

今年の演劇は4つの演目のみでしたが、かつてはもっと多くの演劇があったそうです。当時たくさんあった寝屋子がそれぞれ劇を披露していたのだとか。寝屋親のお父さんが作った脚本を寝屋子たちが演じるということもあったようですよ。45年前の青年たちに話を聞くと、当時は鳥羽市青年団連合主催の演芸大会というものがあり、それぞれの地域の青年団が歌や演劇などを競ったのだそうです。しかも優秀な成績を収めると東京での大会に出場できたんだそうですよ。ちなみに当時の中央大会進出常連は桃取の青年団だった、と聞きました。そんな昔の話がひょっと飛び出してくるのも、祭りの楽しいところです。

漫才をする青年たち
時代が時代なら演劇をやっていたはずだけど、漫才をした青年たち
ティーティティーティーティーティティー
時代が時代なら演劇をやっていたはずだけど、Tを見つけた青年たち
サンシャイン中村
時代が時代なら演劇をやっていたはずだけど、貯金額を明らかにした青年

たくさん写真を撮ったので、これらを見て少しでも雰囲気を味わってもらえたらな、と思います。