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083 笑顔と愛あふれる祭り The festival with full of love and smiles

こんにちは、答志島のいがちゃんこと五十嵐ちひろです。何度でも言わせてもらうけど、本当に答志島に移住してきてよかったし、タイミングも完ぺきでした。この御木曳という祭りを見たら、移住を決めた約15ヶ月前の自分に親指立ててウィンクしたい気持ちが止まらない。いや、それじゃとどまらない。強くハグして背中をバンバンたたきたい。

 

移住にいたった話はこちら⇒なぜここにいるのか

エイトエイトの掛け声で綱を引く人たち
エイトエイトの掛け声で綱を引く人たち

御木曳の何がすごかったかって、とにかく人々の笑顔があふれていたこと。正直この日にどれだけの人が集まっていたのかは分からないけれど、間違いなく普段の人口よりずっと多い人たちが祭りの為にあの場にいたんです。答志や和具出身の人、その子どもや孫など、普段ばらばらのタイミングで島を訪れる人たちが、一度に来たので「盆と正月と神祭が一度に来た」くらいの賑わいでした。

 

午前中の様子はこちら⇒動きだしたお木車-御木曳-

午後2時半 昼の木曳のはじまり

御木曳当日は天候に恵まれ、午前中は照りつける日に高い気温に、と祭り日和を通り越すような暑さだったのですが、午後になると、雲で日差しが遮られる時間も増え、風も吹き、かなり過ごしやすくなってきました。

中世古の子どもの歌
中世古の子どもの歌

午前中に苦戦した狭い道も通り抜け、坂を登り切り、広い通りに出てくると、見物の人たちにも十分なスペースが確保されました。また前の方を引っ張っていた人たちもようやくお木車の姿が見え、盛り上がりもピークになってきました。昼過ぎに家に帰って昼寝休憩した子どもたちも、遠くてなかなか答志の方まで歩いて来られない和具のおばあさんたちも美多羅志神社付近に集まり、かなりにぎわってきました。

笑顔のおばあさんたち
和具の“ばぁら”(おばあさんたち)普段は写真を嫌がる人もこのときは笑顔を向けてくれました。

音頭取り 朝番、昼番

音頭取りたちは、朝番(午前)と昼番(午後)で分かれており、午後は昼番の音頭取りたちが歌います。朝番で音頭をとっていた人たちは、綱を引く中に加わりました。皆2月から練習しましたが、初めの頃と比べると本当に上手になっていて、お木車の近くにいた人たちは「ええ声やなあ」「上手やなあ」と言いながら歌を聞いていました。

 

わたしは全ての世古の練習を見学させてもらいましたが、やはり和具世古の練習を見ることが多かったため、和具世古の音頭取りたちが歌うときが一番グッときました。和具は青年が少なく、他の世古では20代、30代の若者が音頭をとる中、中学生、高校生も音頭をとったので、テストとか部活がある中、ほぼ毎晩練習したことを思うと、本当によくがんばったなあ、としみじみ感じたのです。

東世古の子どもの歌
東世古の子どもの歌

5つ目に和具の昼番(高校生2人)の歌の動画があります。

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祭りの裏方たち

さて、音頭取りがこの御木曳の花形なら、裏方がいます。「梃子(てこ)持ち」は以前の記事でも紹介しましたが、お木車の舵をとるのと、屋形の下に設置された御神木を地面につけないようにするのが、その役目です。各世古から3人ずつ、合計12人がその役を担いました。

お木車と梃子持ち
梃子持ちたち。このように御神木の下に梃子を差し込んだまま進みます。

音頭取りのように練習があるわけでもなければ、午前と午後でバトンタッチもできず、1日中の肉体労働です。また、単に力でコントロールするだけでなく、お木車を家屋にぶつけてはいけない、御神木を地面につけてはいけない、というプレッシャーもあり、ものすごく疲弊する役割だったのではないかと思います。その分、お宮に着いたときにホッとした気持ちも大きかったのではないでしょうか。

お木車と棟梁
お木車の隣には常に車を建てた大工さんたちがついて、舵とりの指示を出していました。

梃子持ちよりも更に裏方になるのが「ビット番」の人たちです。ビット番は、お木車が進みすぎないように後方から引っ張る役です。お木車は木造で、御神木だけでも800kgありますが、前で綱を引く人が仮に各世古あたり60人の240人程と見積もっても、みんなが引っ張ればどんどん前に進んで行ってしまいます。なので、道に丸太を渡し、お木車に繋がったロープをぐるっと巻き付け、数人で後ろに向かってロープを引き、お木車の進むスピードをコントロールするのです。

ロープを引っ張るビット番
ロープを引っ張るビット番。

目立たない仕事ですが、この人たちがいなければ、御木曳は成立しません。人数も少なく、大きな力が加わるため危険も伴う仕事を担ってくれていた方たちがいたことを、知っておいていただければ、と思います。

お宮の前で最後の歌

お木車がお宮についたときには午後5時をまわろうとしていました。約1時間半の遅れです。そして音頭取りたちが最後の歌を歌うのを、集まった人たちが見守ります。ここでは朝番の音頭取りたちも再びお木車に乗り、4人だったり、子どもたちも含めて8人だったりで歌いますが、皆これまでよりもずっとリラックスして、ときどき笑顔を見せながら歌っていました。

朝から綱を引いていた人も、さまざまな役目があった人も、ただ写真を撮りまくっていたわたしですら、かなりの疲れを覚えていましたが、それでも美多羅志神社の前に辿り着いたお木車と、それを背に立ち歌う音頭取りを見ていると、自然と顔がほころんできます。皆で作り上げた20年に1度の祭りのクライマックスに、誰もが「この島の人間で良かった」と感じたのではないでしょうか。今思い出しても胸が熱くなってきます。

 

最後は和具世古の音頭取りたち10人(和具世古は学生たちの練習時間に配慮して、昼番を2組で務めたので、他の世古よりも人数が多かったのです)が歌います。歌詞は、島に生まれたことの喜びと祭りを祝う言葉が並び、再び宮建ち(新しい本殿が建つ)の2年後に会いましょう、ここで終わりにします、という内容です。そして最後に紙テープを投げると「おおーっ」と声が上がり拍手が起こりました。

テープを投げる和具世古の音頭取りたち
テープを投げる和具世古の音頭取りたち。「サーンーヨーオオーエー」

全ての歌が終わると、御神木がお木車から外され、青年や梃子持ちたちによって神前に運ばれました。800kgある絶対に落としたりぶつけたりしてはいけない木なので、最後の力を振り絞って運び込みました。

 

その後祈祷が行われ、各世戸が記念撮影を終えると、伊勢音頭を歌いながらそれぞれの宿へ帰って行きました。

御神木と青年たち
持つ場所によっては重さがもろにのしかかるときがあるらしく、みんな苦笑いでした。

祭りが終わった

この島に来たばかりの頃「来年は御木曳やぞ」と言われ、ずっと先だと思っていたこのお祭り。年が明けてからも「6月にある祭り」という気持ちでいつまでも準備の時期のつもりでいたけれど、5月中に音頭取りたちの歌の披露があったり、飾りつけを始めたりしたら、あっという間に終わっていってしまいました。

 

奉納演芸の様子はこちら⇒御木曳の前日

 

歌の練習を見に行ったり、自分の踊りの練習をしたりとわたし自身も最後の方はそれなりに忙しく過ごしていて、久しぶりに何の予定も無い夜がきて、ふと「あ、今日は音頭の練習見に行けるな、どの世古に行こう?」って思いついてみても、もう終わってしまっている、なんていうことがあって、立派に「御木曳ロス」しています。

現在Instagramで#御木曳で検索すると、答志島の御木曳の写真がほとんどです。ぜひチェックしてみてください。

祭りの最中、大げさでなく人々の笑顔があふれていました。そこにあったのは、島に対する誇り、そして愛だったと思います。仕事や学業で島を離れていた若者も、2代前から島を出ている島の縁者も、島にお嫁に来たり、移住してきたりした人の家族も集まって、そんな人々と、今も島に住みこの土地を担う人たち、両方の思いがこの祭りには詰まっていました。

 

島の多くの人もわたしも、御木曳ロスを感じています。だけど、それって学園祭やスポーツの大会が終わった後とちょっと違う感じがするんです。このお祭りをするにあたって根底にあったものは、日常生活にも、これからあるいくつもの例年行われている祭りにもある、島を盛り上げたい、ずっと続けて行きたい、っていう気持ちだから。

 

答志島はとても魅力的な島です。この島に移住してきて本当に良かった。

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コメント: 2
  • #1

    hareruzo naoki (木曜日, 14 6月 2018 00:26)

    熱く盛り上がったお木曳の様子を大変丁寧にご紹介していただきありがとうございます。島の人たちが一丸となってお木曳を支えていたこと胸を熱くしながら読ませていただきました。

  • #2

    いがちゃん (月曜日, 18 6月 2018 08:12)

    hareruzo naokiさん
    いつもコメントありがとうございます。
    本当に素晴らしいお祭りでした。2年後の宮建ちも楽しみです。