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143 32歳女の厄年 "Yakudoshi" the unlucky year

こんにちは、答志島のいがちゃんこと五十嵐ちひろです。今年2020年はわたし、女の大厄と言われる33歳の厄年なんです。今まで生きてきて厄年なんて気にしたことが無かったのですが、ここは答志島。とても信心深い土地で、厄払いもみんなしっかりするんです。そんな場所に3年近く住んでいれば、なんかしておいた方がいいかな、という気持ちにもなってきます。

 

自分でどこかの神社にお参りに行こうかな、と考えていたのですが、島出身の同い年の女の子が誘ってくれたので、島で厄除けを受けることになりました。

 

調べてみると、神社でする場合は「厄払い」、お寺でする場合は「厄除け」と言うんですって。今回は潮音寺(ちょうおんじ)で行ったので厄除けです。

答志と和具の厄除け

厄除けは、厄年の人たちがみんな同じ日に行います。今年の厄除けは2月9日の朝で、わたしたち33歳の女性の開始時刻は5時30分!早い!それでもわたしたちは2番目で、1番最初は42歳の男性が5時から、後に6時から25歳の男性と19歳の女性、その後30分ごとに37歳女性、還暦の男女と続きます。 

観音堂から漏れる光
5時台なので真っ暗です

厄除けの祈祷が行われたのは、答志と和具の住民が檀家になっている潮音寺という曹洞宗のお寺の観音堂です。島では正式に神社やお寺を参拝するときには正装をすることになっています。42歳の男性はみんなスーツでした。わたしは一応普段よりはちゃんとした服を着て行きましたが、33歳の女性は割とラフな感じでした。

 

答志と和具には同い年の女性はわたしを含め4人しかいません。島出身の人が2人、お嫁に来た人が1人。鳥羽市内に住む人が1人帰省していたので、全員で5人の厄年の女が揃いました。現在は島外に住む島の出身の人も、ほとんどの人は厄除けはするべきと考えているので、同席はしませんが一緒に厄除けしてもらいます。中には島出身で現在は東京に住む男性のお嫁さんの名前も。この席にいない人でも、血縁の人が代理で祈祷を受けることができ、わたしたちの他に2人の女性がいました。

昼間の観音堂
昼間の観音堂はこんな感じ

厄除けの祈祷

右から生まれた順番に1列に並んで正座し、祈祷を受けました。潮音寺の2人のお坊さんにお経をあげてもらいました。あまり信心深くない人生を送って来たわたしにとってお寺は、お葬式や法事のときに行く場所。昔はお経なんて長たらしくて聞いているのが苦痛だったけれど、この年齢になって聞くと、とてもありがたいものに感じるんですよね。意味は分からなくても、心が洗われるような気持ちになるのは、答志島に住んだことも影響しているのでしょうか。

 

祈祷の席には答志と和具のお寺の総代(役員)さんが3人ずつ同席していました。総代さんたちがみんな数珠を持っていたので、「数珠があった方が良かったのかな」と思ったのですが、お焼香をあげる際には焼香台に置かれた数珠を借りられたので大丈夫でした。なるほど、みんながお焼香をあげるときには使えるように1つ用意してくれているんだ!とその合理性に感心しました。

観音堂内部
祈祷が行われたのはこんな場所

祈祷のむすびには、今回厄除けをうける人の生年月日、居住地、名前が読み上げられます。「昭和63年5月25日生まれ、答志町在住、五十嵐ちひろ嬢」という感じで。そして、和尚さんからのお言葉がありました。「厄年は仕事や生活の上で悩みもあると思うけれど、それを一つ一つ乗り越えられますように」というようなお話でした。

 

最後にお清めの日本酒をいただき、総代さんたちからお守りと、清めの日本酒、御供のみかんを受け取りました。ちなみに当日に本人も代理も来られなかった人は後日自身でお守りを受けに行きます。厄除けの事務的なことを取りまとめていた子がまとめて受け取ると言ったら、厄を一気に受けることになるので自身で受け取るように、と言われたそうです。ただ形式的にやっているのではなくて、信仰に基づいているんですね。

厄除念珠とお守り
もらったお守り

厄年にすること

わたしはしなかったのですが、厄年には節分に厄落としをするという風習もあります。日が落ちてから、歳の数の豆とお金を紙で包んで四つ角(十字路)に落とすというもの。包むお金は歳にちなんで33円だったり330円だったり、1200円と決めていたり、諸説有ります。落とすときは決して振り返ってはいけません。これがあるので、節分の日はお金を拾うつもりで夕方に街をうろついている人がいるとかいないとか。ちなみに、落とすお金は厄なので、「知らない人に厄を拾われるのはちょっと悪いな」という人は知り合いに頼んですぐに拾ってもらうのだとか。

ほうろくで豆を炒る様子
節分の豆はほうろくで炒ります

また、松阪に岡寺という厄除けで有名なお寺があり、ここへ行き、帰りにハンカチを落として振り返らずに去る、という風習もあります。島出身の人たちは同窓会がてら松阪へ行って、岡寺と焼肉、みたいなこともするみたいです。

 

信心深い答志島の人たちは厄年をとても気にするので、結婚なんかも避けるようですね。また、両親のどちらかの厄年に子どもが生まれた場合は、誰かに拾ってもらうという風習もあります。

 

42歳の男性はこの時期に寝屋子の仲間と共に旅行に行くことが多いです。景気が良かったころはラスベガスへ行く人もいたという話も聞きますが、現在はハワイが主流です。お金を落とすことが厄を落とすこと、ということでこの年に向けて結構積み立てているらしいです。

 

答志島に来なければ一生しなかったかも知れない厄除け。貴重な体験でした。今年は地域おこし協力隊の卒業の年でもあるし、気を抜かず、気にしすぎず、良い1年にしたいです。