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084 地域力の秘密 A few tips of local cooperation

こんにちは、鳥羽市地域おこし協力隊の五十嵐ちひろです。何かと祭りの多い答志島ですが、梅雨で雨降る中行われたお祭りについてお伝えします。

 

昨年のこの時期にあった祷屋祭は、梅雨の晴れ間の良い日に行われ、元気な子ども神輿を見ることができましたが、ことしはあいにくの朝からの雨で、神輿は中止になってしまいました。その代わり、祷屋祭のメインである組ごとの宴を見学させてもらえましたよ。

 

昨年の子ども神輿の様子はこちら⇒神様のいる島~祷屋祭~

 

祷屋の日の美多羅志神社
祷屋の日の美多羅志神社

祷屋祭は毎年正月と6月に行われます。元々は3回だったそうですが、現在では2回です。正月に行われる祷屋は「正月さん」6月は旧暦の5月ですので「5月さん」と呼ばれています。

 

祷屋祭は美多羅志神社のお祭りですので、氏子である答志地区、和具地区の人たちが関わるお祭りです。近年では和具地区は朝の神社での祭礼に数名が参列するのみで、主に答志地区のみのお祭りとなっています。

雨の中の祭礼。美多羅志神社にて。
答志に来てから何度も祭礼を見てきましたが、雨の日に行われているのを見るのは初めてでした。

答志地区は、大きく分けて東中西の3組に分かれていますが、それを更に細かくした9つの世古があります。祷屋祭では各組1軒ずつ祷屋の家を決めて、その家で酒宴の席が設けられます。(現在は2組合同で行うところもある為酒宴が開かれるのは7カ所です)

 

朝は禰宜どん(祷屋の家の当主)と、取持ち(とりもち)という祷屋の補佐役の人たちが、美多羅志神社で行われる祭礼に参列します。その際、各組ごとに酒と膳を持ってきて神前に供えます。写真には七切れなます、あずきめし(まだ炊いていないもの)、普通のなますなどが写っています。金色の盃は祷屋での酒宴で使用されます。

10時半頃から酒宴が始まります。今回は東世古の中の寺浜世古と呼ばれる組の席におじゃまして、見学させてもらいました。寺浜世古は全部で10数軒の家が属していますが、喪中で参加を控える人もいるので、この日は10軒の家の当主と、駐在さんの11名が集まりました。寺浜世古は駐在所に一番近い為、駐在さんも世古の一員として、こういった集まりには呼んでいるんだそうです。

祷屋の席
祷屋の当主から挨拶があった後に宴が始まる

禰宜どんからのあいさつがあると酒宴が始まり、定められた式次第に従って進められます。神社に供えて神酒を加えてもらった神酒の他に、世古の中で祝い事があった家から出された酒などがふるまわれます。神酒はイッコメ(一個目もしくは一献目)からゴゴメまでの5度まわされ、年長者から飲んだり「のぼり酒」と言って若輩者から飲んだりします。

神酒のふるまい
長老から順に神酒をいただく

この席で出される膳はそれぞれの組で決まった伝統的な膳があり、書面に記されています。おそらくどこの組でも必ず食べているのはカサゴの煮つけです。答志では「赤魚(あかゆお)」と呼ばれており、その色から祝い事に必ず使われる魚です。時代の流れもあり、フライを入れたり、神酒だけでなくビールを出したりすることもあるようです。

 

わたしはてっきり膳の準備は祷屋の家の女の人たちが行っていると思っていたのですが、これらの膳は禰宜どんと取持ちによって作られています。元々は女人禁制となっていたため、原則全て男性で行うそうです。

寺浜世古の伝統的な祷屋の膳
寺浜世古の伝統的な祷屋の膳。フライは祷屋の家のおごり。

さて、この祷屋祭がなぜ行われるかというと、この席で組の決まり事や祷屋の定め事の変更ついて話し合うためです。実際にこの席でも、来年の祷屋の決め方について言及しています。会計報告をする組もあります。自治機能を保つためには定期的な話し合いというのは不可欠です。

 

昔はお酒はぜいたく品でなかなか飲める機会が無かった為、お酒を飲むために祷屋をやっていたんじゃないか、なんて言う人もいます。実際、神酒が何度もまわされる間にも神酒を飲むことが許されているため、始まって30分もすれば席は大分盛り上がってきます。

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ゴコメでは末席の人間から2人ずつ神酒を飲みます。この際飲み切るタイミングをうまく合わせられなければやり直しになります。単にたくさんお酒を飲ませるという意味もありそうですが、同じ組の者同士心を合わせて地域を運営していく気持ちを大切にするための儀式です。

神酒を盃で飲む
※注:駐在さんが飲んでいるのは緑茶です

酒宴も終わりに近づくと、高砂の謡を歌います。元々は能で歌われる謡ですが、めでたい内容の謡であるため、結婚式や祝いの席で歌うということは全国的にあることのようです。謡の半分が終わると禰宜どんが左右の手に持った盃に神酒が注がれ、それを禰宜どんが飲み干します。うん、やっぱり飲むための行事かも。

高砂の詞が書かれた扇子
高砂の詞が書かれた扇子。これを見ながら歌います。

万歳三唱した後、最後に次の祷屋の家をくじで決めます。升の中に米と一緒に入れられたくじを禰宜どんが引き、前に座った人の扇子の中に入れます。すべてのくじを引き終わるまで扇子は閉じておきます。

正月の祷屋を決めるくじ
祝正月と書かれたくじを引いた人が正月さんの祷屋になる。
長老が扇子でくじを混ぜる
長老が扇子でくじを混ぜます

みんなで神酒を飲む前と同じ節を歌った後に、くじに当たった人が祝いの歌を歌い出すと、次の禰宜どんが誰かわかる、という仕組みです。この歌の後に、正月さんの禰宜どんとなった人は家に一升酒を取りに行き、解散となります。

次の祷屋を決めるくじ引き
くじ引きにも扇子は必須

人口が少なくなるにつれて、こういった昔の風習を維持するのは大変難しくはなりますが、こうして近所の人同士が集まって酒を交わすということは、地域力を保つのに一定の効果があるのではないかな、と思います。