こんにちは!答志島のいがちゃんこと五十嵐ちひろです。今日は、みなさんにちょっと大きなお知らせがあります。
実は先月、鳥羽市内へ引っ越しました。
8年3ヶ月の答志島暮らし
2017年4月、地域おこし協力隊として埼玉からやってきて、あれから8年3ヶ月。
縁もゆかりもなかった私が、気づけば答志島の四季の移ろいを当たり前のように感じるようになり、井戸端会議の声や、祭りのわくわくとそわそわ、子どもたちの元気な笑顔に囲まれて暮らしていました。本当に濃い時間だったなあ、と思います。
転居を決めた理由
では、なぜ答志を離れることにしたのか。
それは子育てと仕事を両立するために、家族みんなでベターな選択をしたからです。
ご存じの方も多いと思いますが、答志保育所には延長保育がありません。朝は8:30から、夕方は16:30まで。私も夫も島外で働いているため、この時間ではどうしても難しくなってしまいました。そこで島に住みながら市内の保育所に預けることに決めましたが、日中はみんな島の外、夜と週末だけ島に戻る生活になるのは容易に想像できました。
小学校に上がれば学童がなく、中学も将来的には市内通学になる可能性が高い。「家族の時間を大切にしたい」という思いと、「自分が大好きな答志で暮らしたい」という思い。最後まで心は揺れましたが、今の私が選ぶべきは前者だと納得しました。

正直に言うと、家族の中で「答志に住みたい!」と強く願っていたのは私ひとりだったことも大きな要因です。夫も子どもたちも島の好きな所はあっても、最初から住むことを望んでいたわけではありません。私の「好き」という気持ちにみんなを巻き込んでいる、という思いがずっとあったので、島を出ようと思ったとき、少し気持ちが楽になりました。
感謝の気持ち
この8年3ヶ月、答志での暮らしは私にとってかけがえのない宝物です。思い出してみると、魚やわかめを分けてもらったこと。昔語りをしてくれたじいら。暮らしの知恵を惜しみなく教えてくれたばあら。神祭に参加させてもらった時の緊張と興奮。すべてが愛おしく、どれひとつ欠けても今の私はいなかったと思います。
「こんな場面に立ち会えたのは奇跡だな」と思う瞬間の連続でした。それは、縁もゆかりもなかった私を受け入れ、仲間に加えてくださった島のみなさんのおかげです。本当にありがとうございました。
これからもつながりたい
住む場所は変わりましたが、答志島はこれからも私の大切な「地元」です。ガイドとして島のことを伝えたり、子どもを連れて遊びに帰ってきたり、島の文化や魅力を発信したり――立場は変わっても関わり続けていきたいと思っています。
このブログも、「島民ではないけど、伝えたい!」と思うことがあれば更新していきます。
これからも変わらず、どうぞよろしくお願いします。

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